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済水寺について
濟水寺は初め自肯庵と呼んでいましたが、享保12年(1727)兵庫県佐用郡にあった濟水寺の寺号を譲り受け改称しました。
宝暦7年(1757)、大庄屋の三木家7代当主が父の意志をついで敷地・本堂を寄進し、盤珪永琢禅師(大法正眼国師)を勧請して禅寺としての形が整いました。また、林田藩主建部公の香華院(菩提寺)にもなりました。
境内には「寛量院殿荼毘所之塔」と刻字された五輪塔があり、俗に殿様の墓と呼ばれています。「寛量院殿」は林田藩第6代藩主建部長教のことで、明和元年(1764)この地に没したので、この場所で荼毘されました。
旧本堂は宝暦14年(1764)の建築(老朽化の為解体し現在は礎石のみ)、山門は天明元年(1781)の建築です。現在の本堂は、平成4年(1992)に落慶したものです。

済水観音(台座部分は納骨石室)

本堂内部

旧本堂

本堂扁額

愛玩観音

山門扁額

山門
済水寺について

詳細情報
寺号 濟水寺
山号 龍潜山
宗派 臨済宗(禅宗)妙心寺派
本山 妙心寺(京都市右京区花園)
揖保西国33ヶ所観音霊場 第25番札所
禅宗としての開創 宝暦7年
開山 盤珪永琢禅師(大法正眼国師)
本尊 聖観世音菩薩
本堂内と山門の扁額は岡山藩主池田治政公の筆
林田藩主建部公の香華院(菩提寺)
第6代藩主建部長教の「荼毘所の塔」(境内墓地内)

西国33ヵ所観音
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